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日付 : 2002年06月13日 (木)
件名 : 孤高なるツッコミ人の死
 

 ナンシー関さんが亡くなったと聞いてしばらくショックで呆然としてしまいました。39歳とは、若すぎる…。90年代、その辛口コラムでたくさん楽しませてもらいました。なんかうまく言えないんだけど心に引っかかるものを、ぽんと膝を打つような言葉で表してくれた。テレビの見方を教えてくれた。俎上に上げられた人々にとっては同じことだろうけれど、悪口と批評の間にある隔たりを考えさせてくれた人。他人に鋭くて辛らつなツッコミを入れる前に、恐らく自分に対しても百万のツッコミをし尽くしていただろうと思う。そういう達観したところがあるから読めたし、おもしろかった。

 誰かを揶揄するにはまずは自分自身を揶揄できる客観性が必要だと思うし、相当の勇気もいることでしょう。客観性がない人が誰かを強烈に批判するとただの悪口にしかならない。そこらへんのぎりぎりの線を守って、見事な分析力と文章力で読ませてくれましたっけ。売れっこになってもその客観性を失わず勘違いもせず…(というか元々自分自身に興味がなさそうな世俗を超越したところがあった)。決して媚びず、孤高で、自身をわきまえたポジションを貫いていた…。秀逸な消しゴム版画の数々。公式サイトもよく覗いていました。最近は毎週買うこともなくなってしまっていたけれど、長年週刊文春の読者だったので、とにかくショック…。

 自分より年下の人が死ぬと、思わず自分が死ぬことも想像してしまいます。死に方としてはうらやましい死に方だと思ったりもするけれど。死ぬのなら、迷惑かけず、苦しまず、ぱったり死にたいと思うので。しかし、彼女の死を知った瞬間から何時間も、どうしても悪い冗談にしか思えずに、なんか呆然としながらWEBのある掲示板を読んでいました。そしたら、ナンシー関さんのファンらしき人が彼女の文体模写をして書いた文章に出会いました。彼女が自分の死について書くとしたら、こんな風に書くのではなかろうかというような文で、それを読んだらほろりと泣けました。

 >そんなわけで、急死である。いきなり誰のことかと思えば、なんと私だ。
 >いやー、参ったね。まさか自分が死ぬことになろうとは。
 >それにしても、これほど意外でありながら必然性を兼ね備える急死が他にあろうか。
 >私の急死にはツッコミどころが多過ぎる。

 …と続く文章。本当にナンシー関さん本人が書きそうな文章だなあと思う。この後に続く文章もオチもすばらしいんだけど、コピペされた文章だったため、それを書いた人が誰だかわからないので、すべての引用は控えます。それに笑える人と笑えない人がいると思うし…。ナンシー関の文章をただの悪口と読む人がいるのと同じように、人それぞれ感じ方は違いますしね。

 本人が書いたようなその文章を読んで、やっとその死を受け入れて悲しい気持ちが溢れました。彼女だったらこんなふうに自分の死をも突っ込めそうな気がします(と勝手に思ってる)。私も密かに自分のことや自分の作品に自己ツッコミ入れてたりするけれど…。「ナイフって言葉、使い過ぎてないか?」とか「ルールの意味がわかんなくても守るべきルールはあるんだけどね」とか…。いつ死んでも笑ってもらえるように、今から自分の死についてもツッコミいれとこうかな…なんて、くらだないことを思いつつ、ナンシー関さんのこと思って涙しました。とにかくあまりに若過ぎる死です…。合掌。