日付 : 2002年01月06日 (日)
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映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』思い切りネタバレ注意
「Dancer In The Dark」WOWOWで見ました。まだ見てない人はネタバレ注意です。
これって、あの奇作「キングダム」の監督、ラース・フォン・トリアーが監督だったのね…。途中で「この映像の感じは…」と気になり、見終わって知りました。「キングダム」、WOWOWで録画して全部(最後の最後の章のラスト5分を残してだけど。どうしてか?
録画指定に失敗したのだった…うう)見たんだけど…。あのドキュメンタリーな撮り方はそのままでしたね。ドグマ95という、手持ちカメラ、オールロケでアンチハリウッドを提唱しているらしい手法ですが(三半規管が弱い人は手ぶれのカメラワークに酔う危険あり)。ちまたで(といってもあんまり予備知識いれたくないのでちょっとしか知らないけれど)「感動の名作、母の愛」みたいな感じで宣伝してたような…。トリアー監督の作品で、そんな触れ込みちょっと違うんじゃないだろうか…と、思いました。
とても嬉しかったこと。気になった老齢のミュージカルスター「ノヴィ」をを演じた人…それが誰だかとっても知りたかった。で、エンドロールでびっくりしてしまいました。な、なんと。ジョエル・グレイとは…。ライザ・ミネリ主演のミュージカル映画『キャバレー』に出て、アカデミー賞の助演男優賞ももらった方ではありませぬか。高校生の頃見て『キャバレー』のサントラ・レコードを買って聴き抜いた私としては、こんなところでご健在なお姿を見られるとは…うるうる。感動してしまいました。しかし、ジョエル・グレイ様のタップダンスの足元を撮らないカメラって…あの編集って…。ミュージカルへのアンチテーゼで撮ったにしても……。
この映画の中でのミュージカルシーンは、セルマが孤独や苦悩から逃避する時の唯一の救いである「妄想」の中に存在します。それが最後の最後に、現実へと飛び出して、「死刑台」という舞台でセルマが実際に歌いあげる。という構成こそがこの映画の美しさなんだと思います。セルマをこの舞台に上げるためにストーリーは在るので、強引な物語の展開(子供の目の手術の期限とか)にツッコミを入れるのは無粋。セルマはこれでもかという程に不幸になるべくして、最初から存在しているわけで。しかし、そう理解しても、物語に流れる「情緒」についていけなくなると、途中でちょっとつらくなります(って、私のことだけど)。この映画はたぶん、グリム童話みたいなものとして見るといいのかもしれません。
工場のノイズや列車のレールの音がリズムとなってミュージカルが始まるのはすてき、最初のふたつのミュージカルはとても美しくて、そこに溢れるセルマの孤独感がぐっと胸に来ます。が、セルマが殺人を犯した直後のミュージカルは、殺された人がむくっと起きてダンスするのは意表ついておもしろいけれど、子供が出てきたと思ったら「おかさんは悪くない〜♪
どうしようもなかっただけ〜♪」って歌うんで、「いきなり子供に自己弁護させるとは…。こんなことして、あの子はどうなっちゃうんだろう…と、子供のこと心配して泣いている姿でも思い浮かべるならわかるけど…」と、かなりの違和感を感じてしまいました…。というか、気持ちが醒めました。というか……笑ってしまいました(ごめんなさい)。いやいや、だから、そういうことを言うべき映画ではないのです。セルマの行動を云々する視線は無用なんだってば>自分。
死刑台の上でセルマが最後に生き生きと歌い、その後に真の意味での自己犠牲をまっとうするところに救いと贖罪があって、ある種のハッピー・エンディングなんだけど、この最後のシーン、特に「ガタンっ」ってシーンとカーテンが引かれるところで、監督が悦に入ってる姿がふと見えるような気がしました。「これを見てほしかったのよ」というような感じで、作り手側の監督にとってはある種のエクスタシーを感じるシーンなんではないかと思いました(私の妄想)。――最後のシーンだけでなく、物語の展開に、映像に、ドラマの中でのリアリティ(登場人物たちが生きている世界での現実感)よりも先に、監督の意図が、監督の嗜好が出てきてしまうのです。それに乗れるか乗れないかというところで、この映画に入り込めるか入り込めないかが決まりそうです。「死」という原始的な恐怖をビョークの演技とは思えない叫びとともに見せ付けられます。刻々と迫る「理不尽な死」への恐怖は、個人的には『デッドマン・ウォーキング』の方がすざまじく感じましたが。
監督のフェティシズムが溢れる映画でした。監督の嗜好、性的な傾向は重要なもので、フェリーニなどのように、たぐいまれな芸術を生むことがあります。トリアーもそういうたぐいの監督だと思うんだけど…。これは普通の「感動ドラマ」ではないと思うんだけど…。私はこの映画にえぐいものを感じてしまって(まさにグリム童話的なえぐい感じ)、あんまり好きになれませんでした。えぐくても好きな映画はたくさんあるんだけど…。コーエン兄弟の『ファーゴ』とか大好き(これは違うえぐさかな)。でも、見た人たちから強烈な生理的反応(私の場合は残念ながら不快感でした)を引き出すところを見ると、やはりすごい映画なんでしょう(私もこれだけ語っているんだから、ほんとは好きなのかもしれない)。そして何より、ビョークの存在感が心に残りました。「I've
seen it all」という名曲とあのミュージカルシーンも…。彼女なくしてこの映画は成り立ったのでしょうか。
他の出演者も良かった。デビッド・モース。私は『インディアン・ランナー』で初めて知りましたが、それ以来いろんな映画に出て、いつのまにか認知度の高い俳優になってました。『12モンキーズ』ではロングヘアで、世界を破滅させる悪役やった時はびっくりしました。そのお陰で今回はびっくりしないですみました。あと、なんといってもカトリーヌ・ドヌーブ!
この美しい方を私は小学生あたりから、たくさんの映画で拝んできましたが、変わりない美しさにびっくり&うっとり。しかし、アメリカの田舎町には似合わないような。
ふと思うこと。誰かがセルマを信念を貫く人と評していましたが…。信念というのは時に頑迷でひとりよがりな信仰でしかないこともあります。私は信念という言葉にそういう危うさを感じてしまいます。セルマの子供は幸せだったんでしょうか。殺人を犯した後、一度も会えず、何の言葉ももらわず、抱きしめてもらえずに、母親は忽然といなくなってしまう。母親の命と引き換えに「見えること」をもらったことを知ったら……。いや、だから、この映画は物語を云々するものではないんだってば!
…しかし、殺人を犯した以降、子供がどうしてるのか映画で描かれていないし(というか出てこない)、セルマさえ子供に会おうとしないので(子供の目に障るという理由だろうと思われる)、子供の心境がとっても気になります…。と、どうしてもドラマに拘泥してしまう私でありました。
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